今日は、私の脱毛症発症キッカケについて、詳しく説明したいと思います。
私は、3回目の流産時に、2箇所の円形脱毛症(現在発毛中)と、びまん性脱毛症(治療継続中)を発症しました。流産、そして脱毛症を発見するまでの経緯については、こちらの記事にて詳しく説明しています。
流産を検索すると、「流産の原因は、義母や義両親のせい」とする書き込みを、質問サイトなどで目にすることがあります。流産は、義両親が悪いとは思ったことはありませんが、やはり、私はストレスを感じていたのは確かです。
流産だけではなく、脱毛症になった時には、今まで意識していなかった強いストレスを確認した瞬間、急に何もかもが嫌になり、軽い鬱になりました。そんな私の同居ストレス体験をシェアします。
知らない土地への引越し、そして同居生活
3回目の流産確定した時は、友達のいない新しい土地への引越し、更には夫の両親と同居を始めて半年が経過した頃でした。
この両親の同居ですが、最初から同居するつもりで引越ししたのではありません。
引越後、私達が新生活に慣れるまでの期間を、一緒に住みサポート頂くつもりで、私達は東京のマンションから、義母の故郷である小さな村に引越しをしたのでした。一時的な同居のはずが、義両親は、たまに本宅に帰るだけで、予想外に結局ずっと同居が続いています。
夫の両親は、とても親切です。義母は料理上手。家事も炊事・洗濯を全部してくれます。
私は嫁というよりは、ティーンネイジャーの娘の1人のような気分です。食べたいものをリクエストすれば、すぐに作ってくれます。私の洋服だけではなく、子供のパジャマにさえ、アイロンされて折り目がついて戻ってきます。
私が住んでいる家は、田舎にある義両親の築20年のホリデーハウス(いわゆる別荘)です。年月を感じさせない作りで、全室床暖房、噴水付きの庭、子供が家の中で走りまわれるほど、ゆったりとした広さの家です。
至れり尽せりの姑、広々とした家。
ただ、そんな恵まれた同居生活でも、気を使います。
義両親の思い入れが強い家で、至る箇所にこだわり、義母のセンスで装飾されています。美しい家なのですが、それを自分の好きな装飾を変えることはできず、自分のセンスで好きなものや、生活ルールを持ち込めない家なのです。
見た目は美しくても、ホテルに暮らしているような気分です。滞在する快適さと、暮らしていく快適さは異なります。
例えば、私の引越し当時、息子は1歳半でした。まだまだ、注意力が低いので、子供が頭をぶつけてしまいそうな家具などは、全て移動させるか、クッション性あるガードを角などに付けたいのですが、見た目を壊してしまうので嫌がります。
結局は、ガードをつけた家具はないので、子供を遊ばせていても、危険回避の為、気が抜けず、必要以上に疲れます(ただでさえ、子供と遊ぶのは忍耐が必要で疲れます)。
子供が保育園で持ち帰ってきた作品などで、可愛いらしいデコーレーションで、子供らしい楽しい雰囲気の部屋を作ってあげたいのですが、壁に何か貼ることもできず、白い壁に抽象画がや彫刻で飾られている部屋が、子供部屋です。
全体的に、人に見せる家を意識した家であり、住みづらい家なのです。初めて訪れた人は、家の作りや装飾に感激しますが、住む、特に小さい子供と住むには、とても住みづらく、危険な家です。
家賃を支払わらずに住んでいますし、このような恵まれた環境なので、文句を言える立場ではないのはわかっています。しかし、このような恵まれた環境が説得力となり、ストレスなく暮らせるかと言うと、そうではありません。
今は、引越し前の、東京のマンションが懐かしくてしょうがありません。子供が生まれてからは手狭に感じたマンションですが、自分達で選んだ家具で、とても快適でした。
自宅でくつろいでいる気分が、全くありません。
脱毛症が引き金で、同居が強いストレスに。少し、鬱気味に。
脱毛症の発見を機会に、同居をストレスと認識した瞬間、今の暮らし全てが嫌で、嫌で、惨めにも感じてしまいました。イライラ、モヤモヤ、そしてグズグズと泣いてしまいました。
もちろん、家に対するストレスは既にあったのですが、脱毛症が引き金となり、同居を大きなストレスであると認識した途端、とてつもなく大きなストレスを感じたのです。
更に、トイレに行く度に、脱毛症箇所を確認してしまい、その度に不安と、そして現在の環境からのストレスが原因かと思うと、更にストレスが増します。
床に落ちている髪の毛、そしてシャワー後の排水溝にある、脱毛症による大量の抜け毛。これを見る度にも、脱毛症への心配は増します。
「脱毛症になったら、心配しすぎてストレスにならないように」とは言いますが、この時は、本当に心配で、脱毛症のことばかり、考えてしまいます。
更には、流産を繰り返していたので、この流産についても、ふとした瞬間に心配になり、思いつめた顔になってしまうことも。
とにかく、この時は、本当に脱毛症の原因になった同居生活ストレス、更にはこのストレスが流産にもつながったのかと、とにかく悪い方向にしか考えられません。
急に泣き出したり、メソメソしたり。
夫の言葉に助けられる
夫の血の繋がった家族ですし、とても親切な義両親であり、不満を言うのがはばかれるほど、良くしてもらっている為、夫に、なかなか私の気持ちを吐き出せずにいました。
しかし、ある日、車に乗っている途中、堰を切ったように、急に、私が壊れてしまいました。発端は、記憶に残らないほど些細な会話であり、喧嘩していた訳でもありません。ちょっとした会話内容が、私のストレス原因に関係し、感情スイッチが入ってしまったのです。
泣きながら、今の生活がストレス、家が家だと感じられない、全く安らげない、そして脱毛症が心配でしょうがない、今の状況ではストレスで脱毛症が酷くなりそうで不安だと、夫に泣き崩れながら、訴えました。
夫は忍耐強く、よく聞いてくれました。
私を説得するのではなく、頑張ろうなどの慰めではなく、こんな言葉をスルリと言います。最後のオプションであり、最大の解決策である「引越」を、すぐに提案してくれたのです。
その瞬間、すっと胸の中が軽くなりました。本当に私がダメになりそうなら、私が夫に引越を説得する必要なく、夫は引越しをする心の準備があることが、私に大きな安心感を与えてくれました。
現在、夫は会社員を辞め、自分のプロジェクトを立ち上げるために、私達は引っ越しました。夫のプロジェクトがからの収入が見込めるまでの約2年は、夫は無収入です。その為、生活費を大きく節約するための引越しでした。
特に高額となる家賃を節約できることは、貯金の切り崩しを少なくするのに大きく貢献します。親子3人だけの生活を想像することもありましたが、家賃だけではなく、光熱費、そして引越した際の生活用品を揃えることを考えると、あまりにも大きな金額がかかります。それ故に、私は引越という解決策は諦め、同居生活に我慢していました。
口先だけではなく、いざとなったら動いてくれる、夫の本気度も示してくれました。
本当にダメになるまで、もう少し頑張ろう、我慢しようという気持ちにさせてくれたのです。この日を堺に、軽い鬱な気持ちが、少しづつ改善に向かっていきました。
3ヶ月後、脱毛症を気にならなくなってきた
結局、引越しせず、現在も同居が続いています。
泣き崩れてから、1ヶ月ぐらい、同居への強いストレスは続きました。脱毛症は良くなるより、むしろ進行しているようにさえ見えました。
脱毛症発見からは、トイレに行く度に鏡で脱毛箇所を確認していたのが、3ヶ月ほど経つ頃には、鏡で見ることも少なくなり、あまりストレスを感じなくなりました。
ストレスが減ったから、脱毛症部分が発毛したのか?それとも、脱毛症箇所から発毛したから、ストレスが減ったのか。どちらが、先かは、わかりません。
気がつけば円形脱毛症部分に、ふわふわとした産毛のようなものが生えてきました。残念なことに、びまん性脱毛症部分については、薄毛が続いていますが、少なくとも円形脱毛症は完治しました。
現在の脱毛症に対する、私の心の向かい方
現在は、脱毛症よりも、3回の流産後に、本当に出産できる妊娠ができるかどうかの不安の方が強いです。
また、もし妊娠したとしても、既に円形脱毛症になったので、またホルモンバランスの崩れで、脱毛症になるかもと不安がよぎることはあります。
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